ご無沙汰です。
ご無沙汰してました。omohideoです😃
日々の生活に追われて、1年経過してました。
父の1回忌も終わったけど、まだまだ色んな思い出が頭の中を巡ってます。
ちょうど1回忌あたりで、父が夢に出てきました。
他愛無い世間話だけど、
「久しぶりやな」「元気にしてる??」
程度の会話をしたような感覚が今でも覚えてます。
特にメッセージがあるわけでもなく、
ただ父はあの世でぼちぼち暮らしてるみたいです。
また会えるかもしれないし、無いかもしれない。
でも今はぼちぼち、焦らず過ごそうかな?ほんわかした気分になれました。
父の得意料理2
こんにちは😃 omohideoです!
前回、父の得意料理で「たらこスパゲッティ」について書きました。
実は、他にも得意料理がありました。
それは、、「パンナコッタ」です🍮
月に数回「たらこスパゲッティ」を作ってくれるようになり、半年?1年?ほど経った時期になります。
「今日はデザートも作るで!」と自慢げに話していたことを覚えています。
いつもは夕方頃に作り始めるのが、昼前から台所でパタパタと作業をしていて子供の私なりに気になりつつも、、邪魔をしてはいけないのでワクワクしてました。
その夜に待ちに待ったデザート!
父が、「どや!パンナコッタやで!!」と卓上に並べてくれました。
とにかく「美味しい!!」でした。
パンナコッタがなんなのか細かいことはわかっていなかったですが、プリンみたいな不思議なスイーツでした(笑)
それからは定期的に「たらこスパゲッティ」に添えられていたデザートとして定番でした。
美味しかったな
父の得意料理1
こんにちは😃 omohideoです。
父は普段から全く料理をしません。
したとしてもカップ麺にお湯を注ぐ程度です。
食べるのは大好きで、独自のこだわりがありましたね(笑)
そしてなかなか気難しい、、
夕飯の時に、箸が無かったら母が気付いて出してくれるまで黙って待っていたり、、
食事の後食器を洗ったりはまずしなかったですね、ら
そんな父がある平日の夜、急に
「次の休みに、たらこスパゲッティを作るから!」
と言ったことがありました。
母はびっくりしてましたね(笑)
当時の私は小学校低学年だったので、あまり気にしていなかったです。
その週の土曜日は、朝から父が何やらメモを見ながら買い出しに行ってました。
昼食後、いつものんびりしているのですが、
その日はずっと台所に居ましたね(笑)
母は違和感を感じているようにしていたのを今でも覚えています。
夕方になると良い匂いが家中に広がり、
夕食時にはたらこスパゲッティが完成しておりました。
初めて食べる父の手料理ですが、これまた美味しかったです。
ニンニクの風味が効いていましたね。
母も「美味しい!」と褒めるのですが、
父は「こんなもん簡単にできるで!!」と嬉しそうに強がっていましたね(笑)
但し、その後の後片付けは出来ていなく、母が片付けをしてました。
最後まではしなかったようです。。
それからはたまに「たらこスパゲッティ」を作ってくれるようになりましたね。
夜のコンビニ
こんにちは😃omohideoです。
夕食後ですが、父はたまに(週に1、2回程度)コンビニへ夜食を買いに行ってました。
大体買ってきてくれるものは、スイーツ系(シュークリーム、エクレア、ケーキ、クレープなど)が多かったです。
当時家の周りには徒歩圏内にコンビニがなく、
良く車で行ってました。
車で10分圏内の範囲にファミマ、サンクス、ローソンがあったので、各々独自のスイーツが楽しめました。
一緒に連れて行ってもらう時もあり、ちょっとしたお出かけ気分で嬉しかったです。
肉まんにハマっている時期もあり、3社のコンビニでどれが好みか比べてました。
最初は、母はあまり良い気分ではなかったようですね(笑)
父の食べすぎを心配していたようです。
(すぐにお腹をこわすので、食べ過ぎでよくトイレにこもっていたようです。。)
それでも、スイーツを食べる時は家族で楽しく過ごしてましたね。
少し遠回りしてコンビニに行ったりしていたようで、
父なりの気分転換だったのかもしれません。
小学校高学年になる頃にはなくなってましたが、貴重な習慣でした。
ささやかながら、楽しかったなぁ😌
大学受験
こんにちは😃omohideoです。
私は高校2年の秋頃からですが、受験勉強を始めてました。
最初は塾通い程度でしたが高校3年に入ってから、
睡眠と食事とトイレ以外は全て勉強の時間に充ててました。
夏頃を迎えると、睡眠時間も削って勉強してましたね。
当時の学校の写真を見ると、顔に生気がなかったです。(笑)
「大学受験で人生が決まる。」というくらい必死でしたね。
当然そこまで、追い詰められた期間が続くと精神的にも疲れが出てきます。
頭もおかしくなります。。
テスト結果どころか、普段の勉強で正解不正解で一喜一憂するようになります。
夏休みも後半になるとかなり酷く、少しでも問題を間違えると、発狂してました。
母親からは、
「もうちょっと心に余裕を持てたらどう?別に受験で人生は決まらないよ。
別に浪人してもいいんやで。お母さんはいつでもあんたの味方や。」
など優しい言葉をかけてくれていたのを微かに覚えてます。
でも当時の私は心の中で、
「そもそも大学受験さえしたことのない人間にそんなこと言われたくない。放っておいて欲しい。」
と聞く耳を持たなかったです。
秋頃になるとさらに私の精神状態は悪化していて、
一定のストレスが溜まると自分の部屋で暴れてました。
壁や机や押し入れの襖を殴ったら頭を打ちつけたりしてましたね。
もう明らかに異常です。
学力なんて伸びるはずありません。
何がきっかけかもう覚えていませんが、
勉強がうまくいかず部屋で暴れている時、
これまであまり口出ししてこなかった父が
部屋に入ってきて、
「omohideo。ちょっとだけ話がある。そこに座れ。」
と言いました。
私はもう気が動転していたようで、無言でベットに座りました。
「お父さんな。。お前を見てて心配でたまらんわ。
そんなに頑張らんでいい。結果も出さんで良い。
小さな事で一喜一憂するのはやめへんか?」
と父は私に話をしました。
当時の私はもう本当に訳が分けらない精神状態だったので、父が何を話していたのかもよく覚えていません。
ただ、正直普段から言葉遣いもあまり良くかった父が、
私のことを「心配している」と言ったのがすごく衝撃的でした。
自暴自棄気味だったので、変な話嬉しかったのかもしれません。
気持ちがスゥーっと落ち着けました。
「どんなに頑張っても、どんなに望んでも【なるようにしかならない】よ。
今既にできるだけのとこはしてきてるんだから大丈夫。
それよりも今を大事にしよう。」
と話しかけられました。
この【なるようにしかならない】という考え方ですごく心が楽になりました。
一見大した内容ではないのですが、私にとって大切な言葉です。
結局、受験が終わるまで勉強しまくりました。
受験の時も頭がおかしくなりそうなくらいストレスが溜まりましたが、結果【なるように】なりました。
父に心の底から心配をかけて申し訳なかったな。。
競馬
こんにちは😃omohideoです。
父は競馬が好きでした。
小学生の頃、土日は必ず馬券を持ってテレビ中継を見ていました。
馬券の購入のためにウインズに行ってましたが、私もたまについて行ってました。
父について行くと、外で一緒に昼食ができたのでそれが楽しみでした。
ファミレスであったり、喫茶店であったり色々と男2人で行けるというのが嬉しかったですね。
レースは家で見てましたが、予想している馬が先頭を走っていると、
父は大声でテレビ越しに応援してます。
当時の私は何が何だか分からずでしたが、
頑張って応援している父を見て一緒に応援してました。
競馬で良い結果が出ると、必ずその日の夕飯は豪華になったからです。
さらにおまけでゲームソフトを買ってもらえることもありました。
まさに一蓮托生!
負けた時は普通に食事ですが、
良い結果が出た時はすぐに家族に還元してくれる良い父でしたね。