おもひでログ

親、妻、子供との思い出を綴ります

いびき

こんにちは😃omohideoです。

 

父は寝ている時、必ずいびきをかいていました。

逆に、いびきをかかず寝ていたという記憶がないです。

 

音もかなり大きく、「グゴゴゴゴゴ」「ガガガガガガ」という感じです。

 

母は「うるさいなぁ、、、」とよく言ってましたが、

私にとっては小さい頃から当たり前のことですので、

これといって違和感があるわけでもなく普通のことでした。

 

ただ、阪神大震災の直後はいびきをかいていなかったような気がします。

多分、父なりにストレスがあったのかもしれませんね。。

怖い夢を見たのか、いきなり「うわぁ!」と言って起きていた事もあります。

父=強いイメージではありましたが、繊細な人だったのかもしれません。

 

自分のいびきのうるささに驚いて起きていたのも覚えています。

その時は面白くて、母と笑ってましたね(笑)

懐かしいな♪

ポケモン

こんにちは😃omohideoです。

 

私が小学生5〜6年くらいになりますが、初代ポケモンが流行っておりました。

当時は特に目立ったCMが流れていたわけでもありませんでした。

 

私がグリーン、父がレッドを買ってましたね。

ポケモンが全部で150種類(ミュウを除く。)いますが、

全て集めるには両方のバージョンが必要だったのも当時は斬新でした。

 

コツコツと毎日ストーリーを進めて、

出てくるポケモンを集めて、

お互いに集めたポケモンを定期的に交換しあって、、、

をひたすら続けてました。

 

攻略本が出た時は即父が購入して、

お互いのバージョンでどのポケモンを捕まえてくるかも話し合いをして、

「一緒に」目的に向かって頭を使うのはすごく楽しかったですね。

 

このポケモンですが裏技がかなり多く、

子供の私はこの裏技を多用していました。

父は、、絶対にこの手のものには手を出さなかったです。

ポリシーですね(笑)

 

何故か父は、ポケモンを捕まえるために使うアイテムは必ずモンスターボールと決めていました。

本来は、

モンスターボール→スーパーボール→ハイパーボール→マスターボール

の順番に捕まえやすくなるのですが、、

なぜか一番捕まえにくにアイテム縛り。

 

最後に出てくるミュウツーモンスターボールで捕まえてました(笑)

マヒ→モンスターボール の組み合わせでひたすら捕まえてましたね。 

ミニ四駆

こんにちは😃omohideoです。

 

私が小学生3〜4年生くらいの時、ミニ四駆が流行ってました。

当時コロコロコミックで「爆走兄弟 レッツ&ゴー」という漫画が連載されいて、

アニメ化もされていました。

 

定期的に、新しいバージョンのミニ四駆が発売されてましたね。

(新キャラが出るたびに、新しいミニ四駆が出ていたような。。)

 

ミニ四駆本体のカラーが限定バージョン(ゴールド、シルバーなど)も発売されていました。

限定バージョンは、

「○月○日の△△△にて開催されるイベントでの限定販売!」

といったものでした。

要するに「決まった日時にイベントに行かないと買えない」おもちゃですね。

 

父にお願いしてイベントに連れていってもらいましたが、

長蛇の列で3時間くらい並んだ記憶があります。

貴重な休みの日に朝早くから車に乗せて連れていってくれましたね。

 

2〜3回付き合ってくれましたが、

父はいつも子供の頃の私と同じ目線で一緒に楽しんでくれました。

 

本当に楽しかったな

 

 

 

 

6と0

こんにちは😃 omohideoです。

 

小学校1年、2年生の時はたまに父に勉強を教えて貰ってました。

国語と算数ですね。

 

あまりにも私ができなかったのか、父が短気なのか、よく怒られました。

「なんでこんな事もできひんねん!!」と。

 

特に算数の字が汚いとこっぴどく怒られましたね(笑)

6と0の見分けが付かないと、、

 

「6と0が見にくかったら大きなミスにつながる。」

「算数のテストだと、正解していでも先生に誤って❌にされる。」

「仕事で値段を6と0で見間違えられたらそれこそ大変だ!」

要するに、誰が見てもわかる字を書きなさいと言う事です。

最後のコメントはいかにも父の仕事柄(営業)出た内容ですが(笑)

 

色々と教えてもらったはずですが、

今でも6と0の書き分けで怒られた(熱弁された)事に

ついては強烈に覚えています。

 

勿論、私の人生で6と0の見間違いをされた事はありません(笑)

父のおかげです。

 

 

 

 

「ソフト」の意味

こんにちは😃 omohideoです!

 

私はゲームが好きで、特に小学生の時は毎日ゲームに明け暮れてました。

(時間制限は1日1時間でしたが、、)

 

2年生くらいの時は、スーパーファミコンがメインのゲーム機でした。

当時は特に、特にディズニー系のゲームが流行っており、ミッキーやアラジンが主人公のアクションゲームをしてました。

 

当時、友達で流行りのディズニー系アクションゲームのソフトが無くて、欲しいと思ってました。

でも、遠慮なのかなかなか親に言えなかったんです。

 

ある日、家族で外食に行った時に、丁度店の道路を挟んだ向かいにゲーム屋さんがありました。

母に事前に相談した上で、勇気を持って父に言いました、

「お父さん、、ソフト買って欲しいねん。。」

恐る恐る小さな声で言ったのを今でも覚えています。

父は、

「ソフト??ええで!そんなんなんぼでも買ったるで!」

と言ってくれてものすごく嬉しかったですね。

 

食事を終えて「さあゲーム屋さんへ!!」と思っていると、

父はすぐさま車へ移動し始めたので、

「え?!」という顔をしたんでしょうね(笑)

父が私に、

「ソフトクリーム買いに行くんやろ?家までの帰りにどっか寄ろうか!!」

と、、

 

はい。「ソフト」の意味がお互いに違ってたんですね。

すぐに母が間に入り、「ゲームソフト」が欲しかった事を伝えてくれたのと、

私があまりにもショックそうな顔をしてたみたいで、

父は大笑いしてすぐにゲーム屋さんに一緒に行ってくれました。

 

当時のスーパーファミコンのソフトは1万近くして高かってはずですが、、父にとっては痛い出費だったはずです。

それでも、微笑みながら買ってくれました。

 

優しかったな。お父さん、ありがとう。

ゲーム

こんにちは😃 omohideoです。

 

私はゲームをするのが好きです。

5歳くらいの時に初めてマリオブラザーズをした記憶があります。

当時は只々、コントローラーを持ってテレビ画面を見ているのが楽しかったので、

1面の最初に出てくるクリボーにやられてばっかりできたね(笑)

 

父はドラクエ3をしていました。

当然幼稚園児の私には何をしているのかわかりません。

HP?MP?といった文字に数字が書かれてるだけで何が何だか、、

 

その後1〜2年ほどゲームに触れない期間があり、小2くらいにまたゲームをするようになりました。

その時ドラクエ3に手をつけましたが、全然できませんでしたね(笑)

何も装備せず外に出てスライムにボコボコにやられまくりでした(笑)

父に進め方を教えてもらって少しずつ慣れていったのを覚えています。

 

父も改めてやりたくなったのか、ある日曜日の夜にドラクエ3を初めてました。

翌日の朝に起きると、、、父は起きてゲームをしておりました。

夜通ししていたようです。母はかなり怒っていましたね。

そのまま寝ずに父は仕事に行っていましたが、今思うとラスボスの手前まで進めていたと思います。

 

その後はドラクエ5ドラクエ6と新しいものが出るたびに一緒に攻略本を眺めて一緒にゲームをしていましたね。

特に行き詰まった時、お互いにアイデアを出して進めるのが、本当に楽しかった。

父の仕事

こんにちは😃 omohideoです。

 

父は、メーカー勤めの外勤の営業マンでした。

朝は7:30頃に家を出て、夜は大体19:00〜20:00くらいに

帰ってきてました。

その後は、夕食を食べて一緒に銭湯に行ってましたね。

(小学生の時まで住んでいます家にはお風呂が無かったので。)

今思うと、あまり残業はしてなかったですね。

 

たまに帰るのが遅い日もありましたが、大きく分けると2種類に分けられるかなと思います。

 ・機嫌良くさらにお土産付き

 ・機嫌が悪くお土産無し

前者はパチンコ帰りで結果が良かった時、

後者はパチンコ帰りで結果が悪かったか残業かだと思います。

ちなみにお土産にはたまにゲームソフトだった事もあってすごく嬉しかったですね。

母はパチンコに行かれるのをかなり嫌がってましたが、、

 

土日祝は休みで基本的に家に居ました。

休みの日、朝はずっと寝てましたね。

寝てる時に家をバタバタと走り回ると

「うるさい!」と言われた事もありますが、懐かしいです。

 

なんにせよ、普段から仕事以外父は家に居たので

家族との時間は好き(嫌いでは無かった)かな?と思います。

 

寝てる時のいびきはうるさくて、

自分のいびきにびっくりして起きるといったエピソードもありました。

めちゃめちゃ面白かったですね(笑)